ここでちょっと、服飾の面からも16世紀ヨーロッパを振り返ってみましょう。
・・・な〜んて、とーっても真面目にファッションを語るかというと、そうじゃないんです。あの「日の沈まない帝国」を実現させた、神聖ローマ帝国皇帝カール5世(1500-1558)の肖像画を見たら、彼のお洋服がとっても気になってしまったんです。なんて言っていいのか迷うのですが、男性の股間の、あの部分が妙に強調されてるんですよ。強大な帝国の偉大な皇帝は、あの部分も偉大だったのか・・・、とかいうことではなく(いやいや、そうだったかもしれないけど)、とにかく、服の作りがそこに目がいくようになっているんです。信じられないかもしれませんけど?本当なんですよ??ご覧下さい。

ほらね?本当でしょう?偶然そこが目立ってしまっているわけではなく、明らかにその部分を目立たせてるでしょう?私の気にしすぎじゃないでしょう???ベストにわざわざ穴を開けてソレを外に出しているような・・・・。カール5世には申し訳ないのですが、彼の業績よりも服が気になって気になって・・・(彼はすぐれた政治家でした)。で、これには何かワケあるはず、と思って美術出版社の「世界服飾史」を開いてみました。ありましたありました。どういうワケなのか、ちゃんと説明してありました。ちょっとその部分を引用させていただきます。
16世紀を特徴づける服飾の最たるものは、オ・ド・ショースの股間につけられたブラゲットだろう。(中略)本来はズボンの前開きだが、詰め物がされるなどして大仰に整えられることになった。身体に密着した仕立てなら必要もあろうが、世紀半ばにゆったりした形になってもしばらく消滅しないのは、やはり実用というより男性器の誇張という時代の好みがあるからだろう。もちろんこれを破廉恥と見る向きもあり、モンテーニュは隠し所を明らさまに示す下劣なものと後に非難している(『エセー』1巻43、3巻5)。
ね?ね?私の気にしすぎじゃないでしょう?(笑)ちなみに「オ・ド・ショース」はズボンのことみたいです。フランス語だと思うけど、なんだか格調高いですねえ。カール5世のオ・ド・ショースは大人しいですが、たいていは膨らんでいてカボチャみたいに見えるので、私はずっと「カボチャパンツ」と呼んでいました。ちなみに、タイツも格調高く「バ・ド・ショース」と呼ばれるらしいです。
それではここで、16世紀の紳士服の流行アイテム「ブラゲット」コレクションを披露させていただきます。まずは、フランスから二人の王、アンリ2世(左・1519-1559)と息子のシャルル9世(1550-1574)にご登場いただきましょう。

二人とも、ほぼ同じ格好ですね。親子でもあるし、二点とも同じ画家の筆によるので、似ても不思議はないのか、意図的にそうしたのか・・・。アンリ2世のブラゲットは明らかですが、シャルル9世の方はそんなに目立っていません。それでも黒い上着(これにも本当はオシャレな呼び方があると思われますが)から白いものがちょこんと見えています。まさか、偶然じゃないと思うけど。
ブラゲット以外のアイテムもちょっと見てみましょう。重要チェック項目としてはシュミーズが挙げられます。服全体に飾り穴や切り込みが施されて、下に着ているシュミーズが覗いているのです。その覗かせ方で個性を出し、オシャレ度を競っていたことは想像に難くないですね。シュミーズは単なる下着ではなかったのです。飾り穴は、ベストや袖、オ・ド・ショースに留まらず、靴にも施されています。また、ヒダ状の襟、羽根付きの帽子、肩にちょこんと乗せたマントのような布なども当時のはやり、そして黒は当時の流行の色でした(と、いうのも、ブラゲットを調べていて発見したので、あとで改めて触れるつもりです)。・・・となると、この二人のフランス王の衣裳は、当時の流行を全部取り入れた、もしあの頃にファッション誌があったら表紙を飾るような服装だったわけです。(なんだか服飾評論家みたいな気分になってきた!)
もう一点触れておきたいのが、シャルル9世の在位中に出された禁令です。再び美術出版社「世界服飾史」から引用します。
「馬の毛や綿、あるいは羊毛屑でオ・ド・ショースを膨らませてはならない。つまり裏地のみですませること、そして、そのショースにポシェットをつけてはならない」
ポシェットはポケットのことだそうです。このころの服にはポケットがついていなかったそうですが、それはポケットに短刀や拳銃を隠すことが恐れられたからだとか。で、この股間の空間・ブラゲットは、ポケットの役目も果たしていたとか・・・。場合によっては、だと思うけど・・・????アンリ2世の方は、ちょっと解りにくいのですが、腰のベルトから可愛らしい袋を下げています。これに小物を入れていたのでしょう。
それにしてもですね、シャルル9世のこの肖像は、「オ・ド・ショースを膨らませるな」という禁令が出された1563年に描かれたもの。自分が膨らませてるじゃん・・・。膨らませる材料が毛や綿というのも面白いですね。暑そうです。オシャレもラクじゃないですねえええ。
お次はカール5世の二人の息子、スペイン王フェリペ2世(左・1527-1598)と、ネーデルラント総督ドン・ファン・デ・アウストリア(1545?-1578)のお二人です。

二人とも鎧を着けていますが、やっぱりちゃんと、その部分は主張していますね。大事なところなので、むしろ鎧で覆った方がいいと思うけど・・・・・。
ドン・ファンの肖像でもう一つ注目したいのは、短刀をカボチャパンツの飾り穴に通していることです。なるほど、ポケットがないと、こういうことになるんですね。実際は短刀の重さにかぼちゃパンツは耐えられなかったんじゃないかと思うのですが、まあ絵だからね。
ちなみに、フェリペ2世は先に登場したフランス王アンリ2世の娘エリザベート・ド・ヴァロワを三人目の王妃として迎えましたが、その結婚を祝う宴で行われた馬上槍試合で、アンリ2世は右目を突かれるという事故に遭ってしまいます。カール5世はアンリ2世の要請に応えて医者を派遣したりもしたようですが、事故の10日後にアンリ2世はこの世を去ります。アンリ2世とカール5世・フェリペ2世父子は何代もの王が戦ったイタリア戦争を、フランスの敗北という形で終結させたばかりで、フェリペとエリザベートの結婚も当然、和解のシンボルだったはず。その席上でフランス王が死に至る怪我を負うとは、因縁めいたものを感じるのは私だけでしょうか。イタリア戦争終結も、フェリペとエリザベートの結婚も、ともに1559年のことでした。
・・・さて、お次はカール5世の甥、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世(1527-1576)に、ご家族で登場してもらいましょう。彼の皇后はカール5世の娘マリア・フォン・シャパーニエン(1528-1603)。二人は16人の子宝に恵まれましたが、この肖像画にはそのうちの三人が描かれています。

あのですね、皇帝陛下に向かってこういうことを言うのもナンですが、家族揃っているところでブラゲットを着けられると、なんか、「ほらね」って言われてるような、何て言うんでしょうねえ、感慨深いものがありますよねえ。う〜ん。ご夫婦の衣裳のカラーコーディネートもされているし、マクシミリアン2世は流行アイテムを全部カバーしてるし、オシャレなんですけどね、多分。
この絵に描かれている王女かは分かりませんが、娘のうちの一人、エリザベート・ドートリッシュは先に登場したフランス王シャルル9世の王妃です。う〜ん、さすが。み〜んなつながってますね。仲が悪かったフランスとも、ハプスブルグは何組も婚姻政策をしていたわけですねえ。いえ、仲が悪かったからこそ大事だったとも言えるでしょうか。
ハプスブルグ家からさらに二人。のちの神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(左・1552-1612)とスペイン王太子ドン・カルロス・デ・アウストリア(1545-1568)です。

男の子と言っていいくらい若いですが、だからと言って流行アイテムははずしていません(若いからなおさら?)。うーん、なんだかアンバランスに見えてしまうのは私だけでしょうか。まだ早いんじゃないの?って言いたくなるような・・・。う〜ん・・・。
ルドルフ2世はマクシミリアン2世と皇后マリアの息子。文化人ではありましたが、政治家としては無能だったようです。フェリペ2世の王子ドン・カルロスは幼少のころから精神が錯乱していたということで、父王に幽閉されたのち、牢の中で死亡。可愛いのにねえ・・・。
ところで、昔から現代に至るまでオシャレで通しているイタリアの男性はどうだったのでしょう。実は、この頃のイタリア各国(イタリアにはいくつもの都市国家が林立していた)の君主をあれこれ検索してみたのですが、ブラゲットはみあたりませんでした。かろうじて「これ、もしかして?」と思ったのがこの方、マントヴァ公フェデリーコ2世・ゴンザーガさん(1500-1540)です。

赤い布が少し見えているのがそうかな?とも思えるけれど、でも、どうも他の人のブラゲットのようにしっかりした形に見えないし、その上に青い布も見えているので、もしかしたらシュミーズを飾り穴から覗かせる感覚で、赤だの青だのの布を外に見せているだけなのかもしれません。残念。
ちなみにこの人、父親からの遺伝と見られる梅毒で長い間苦しんだのちに亡くなりました。梅毒が歴史上に現れたのは15世紀末で、コロンブスが新大陸からヨーロッパに持ち帰ったと言われています。イタリア戦争(1494-1559)のとき、フランス人とイタリア人はお互いに梅毒を移し合って、フランス人は梅毒を「イタリア病」、イタリア人は「フランス病」と呼びました(参戦していたドイツ人にも梅毒の被害はあったはずですが「ドイツ病」は聞かないですね)。軍人が戦地で女性を強姦したり、そんなに乱暴じゃない感じだとしても女性を買ったり、というのが盛んだったのが伺えます。だからまあ、フェデリコ2世のように先天性梅毒に苦しんだ人も多かったのでしょう。
ただですね、フェデリコさん、プロフィールを見ると、それこそ自分の欲のためにあちこちの女性と結婚・離婚を繰り返したようで、それも、政略結婚をするにしてもこれはみっともないなあ、と思うようなやり方なんです。だからなんとなく同情できないというか、遺伝じゃなくて自分がどこかでもらってきたんじゃないの?政略結婚を画策する陰で遊んだ相手もいたんだろうし、だらしない生活だったんじゃないの?と、ちょっと意地悪をいいたくなるんですよ、この人。皇帝カール5世の伯母とも結婚・離婚をしているので、カールの逆鱗に触れなくてよかったね〜と、嫌味も言いたくなるというか。あんまり好きになれない人です。ま、昔のことだし、私が口出す筋合いでもないんですけどね。

上の二枚には市民が描かれています。・・・もう、別に何も言わなくていいですよね(笑)。左の絵の作者ジォルジオーネはイタリア・ルネサンスの大家、右の絵の作者は私は知らない人で、名前は多分ゲオルグ・ペンツ(Georg Pencz)と発音すると思うのですが、ドイツ・ルネサンスの大家デューラーの弟子で、イタリアにも行ったことがあるようです。ということは、この二枚に描かれているのはイタリアかドイツの若者と思われます。・・・。ははははは!

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